東京高等裁判所 平成3年(行ケ)98号 判決 1992年1月30日
東京都港区南青山二丁目1番1号
原告
本田技研工業株式会社
同代表者代表取締役
川本信彦
同訴訟代理人弁理士
鳥井清
東京都千代田区霞が関三丁目4番3号
被告
特許庁長官
深沢亘
同指定代理人通商産業技官
菊井広行
同
長野正紀
同
左村義弘
同通商産業事務官
廣田米男
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者が求める裁判
1 原告
「特許庁が昭和62年審判第13587号事件について平成3年3月11日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
2 被告
主文と同旨の判決
第2 原告の請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和55年10月14日、名称を「走行経路表示装置における位置データの記憶方式」とする発明(後に名称を「走行経路表示装置」と補正。以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和55年特許願第143143号)をしたが、昭和62年5月18日拒絶査定がなされたので、同年8月4日査定不服の審判を請求し、昭和62年審判第13587号事件として審理された結果、平成3年3月11日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同年4月22日原告に送達された。
2 本願発明の要旨(別紙図面A参照)
移動体の走行距離を検出する距離検出器と、
その走行に伴う方向を検出する方向検出器と、
上記距離検出器によって検出される移動体の単位走行距離ごとに、そのとき上記方向検出器によって検出される方向とともに、移動体の2次元座標上の位置を累積的な演算処理によって逐次求め、移動体の上記単位走行距離の加算値が、あらかじめ設定された一定の値を越えるごとに、そのときの位置のデータを抽出する信号処理装置と、
その抽出された刻々変化する位置のデータを記憶する記憶装置と、
その記憶データに従って移動体の現在位置を画面に表示させる表示装置と
によって構成された、走行経路表示装置
3 審決の理由の要点
(1)本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。
(2)これに対し、昭和54年特許出願公開第102891号公報(以下「引用例」という。別紙図面B参照)には、移動体の位置に起因する位置データ信号を出力し記憶するとともに、位置データに基づいて移動体の現在位置あるいは航跡を画面上に表示し得るようにした、位置自動表示装置が記載されている。
(3)本願発明と引用例記載の発明を対比すると、引用例記載の発明にいう「航跡」は本願発明にいう「走行経路」に対応すると認められるので、両発明は、移動体の位置データ信号を出力し記憶するとともに、この位置データ信号に基づいて移動体の現在位置及び走行経路を画面上に表示し得る点において一致し、下記の2点において相違する。
<1> 本願発明が、移動体の走行距離を検出する距離検出器によって検出される移動体の単位走行距離ごとに、方向検出器によって検出される方向とともに、移動体の2次元座標上の位置を逐次求めているのに対し、引用例にはこの事項が記載されていない点
<2> 本願発明が、移動体の単位走行距離の加算値があらかじめ設定された一定の値を越えるごとに位置データを抽出して移動体の現在位置を画面に表示するのに対し、引用例にはこの事項が記載されていない点
(4)各相違点について検討する。
<1> 移動体の走行距離を検出する距離検出器によって検出される移動体の単位走行距離ごとに、方向検出器によって検出される方向とともに、移動体の2次元座標上の位置を逐次求めることは、本件出願前に周知である。例えば、昭和52年特許出願公開第44662号公報(以下「周知例1」という。別紙図面C参照)あるいは昭和52年特許出願公開第41032号公報(以下「周知例2」という。別紙図面D参照)を参照。したがって、相違点<1>について本願発明のように構成することは、当業者ならば設計上適宜になし得たことと認められる。
<2> 移動体の単位走行距離の加算値があらかじめ設定された一定の値を越えるごとに位置データを抽出して移動体の現在位置を画面に表示することは、位置データをサンプリングして移動体の現在位置を画面に表示することに他ならない。しかしながら、データをサンプリングして画面に表示することは、データ処理一般において周知であるのみならず、当該技術分野においても本件出願前に周知である(例えば、周知例1あるいは2を参照)。したがって、相違点<2>についても、本願発明のように構成することは、当業者ならば設計上適宜になし得たことと認められる。
<3> なお、本願発明が奏する作用効果は、当業者であれば、引用例記載の発明及び周知技術から予測できた程度のものである。
(5)以上のとおり、本願発明は、その出願前に頒布された引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたと認められるから、特許法第29条第2項の規定により、特許を受けることができない。
4 審決の取消事由
引用例に審決認定の技術的事項が記載されていること、本願発明と引用例記載の発明が審決認定の相違点を有することは、認める。
しかしながら、審決は、本願発明と引用例記載の発明の相違点を看過し、相違点<2>の判断を誤り、かつ、本願発明が奏する作用効果の顕著性を看過した結果、本願発明の進歩性を誤って否定したものであって、違法であるから取り消されるべきである。
(1)相違点の看過
審決は、その認定した2点の相違点のほかは、本願発明は引用例記載の発明と一致する、という趣旨を説示している。
しかしながら、本願発明は、移動体の走行に伴って逐次に求められる位置データのうちサンプリングされた位置データのみを記憶装置に記憶させ、この記憶データに従って移動体の現在位置を画面表示するように構成されている。しかるに、引用例には、求められた位置データを記憶装置に記憶させ、この記憶データに従って移動体の現在位置を画面表示することは全く記載されていない。したがって、審決は、本願発明と引用例記載の発明の相違点を看過しているものといわざるを得ない。
(2)相違点<2>の判断の誤り
本願発明は、画面における移動体の現在位置はそれほど細かく表示しなくとも実用上差支えがないという知見に基づき、移動体の走行に伴って逐次に求められる位置データを、移動体の現在位置の画面表示に支障を来さない限度でサンプリングし、サンプリングされた位置データのみに従って移動体の現在位置を画面表示することを特徴とする。
しかるに、審決は、相違点<2>の判断において周知例1及び周知例2を援用し、データをサンプリングして画面に表示することはデータ処理一般において周知であるのみならず当該技術分野においても周知である、と説示している。しかしながら、周知例1あるいは周知例2には、データをサンプリングし、サンプリングされたデータのみに従って画面表示を行うことは記載されていない。すなわち、
周知例1には、まず、車両がX方向(東西)あるいはY方向(南北)に、画面の格子間隔に相当する単位走行距離を走行したことを検出し、格子の交点上に表示される車両の現在位置を、その方向に1交点シフトする手段が記載されている(第2頁左上欄第4行ないし右上欄第17行)。この手段においては、車両の位置データが全く求められていないから、位置データをサンプリングするという技術的思想はもとより存しない。
次に、周知例1には、上記の手段では、車両が斜め方向に走行したときは距離誤差が生じてしまうので(同頁右上欄末行ないし左下欄第11行)、単位走行距離より短い距離(以下「基本距離」という。)を設定し、車両が基本距離を走行するごとに、これをX方向成分とY方向成分に分解して別個に累積していき、いずれかの方向成分の累計が単位走行距離に達したとき、車両の現在位置の画面表示をその方向に1交点シフトする手段が記載されている(第2頁右下欄第16行ないし第5頁右下欄第2行)。この手段によれば、別紙図面C第4図の点ハが検出されたとき車両の現在位置の画面表示が点aから点Pにシフトし、点ニが検出されたとき車両の現在位置の画面表示が点Pから点Qにシフトすることになる。したがって、この手段においても、車両の2次元座標上の位置データを求めてこれをサンプリングし、サンプリングされた位置データのみに従って画面表示を行うという技術的思想が存しない。
この点について、被告は、周知例1には別紙図面C第4図の「点a、点イ、点ロ、点ハ(あるいは点ハに最近接の検出点)」という位置データのうち、点aと点ハ(あるいは点ハに最近接の検出点)の2位置データのみをサンプリングしこれに従って車両の現在位置の画面表示を行い、点イと点ロの2位置データに従った車両の現在位置の画面表示は行わないことが記載されている、と主張する。しかしながら、「点a、点イ、点ロ、点ハ(あるいは点ハに最近接の検出点)」自体は、本願発明の位置データのような、移動体の現在位置を表す2次元座標上の位置データの概念に該当しない。そして、別紙図面C第4図記載の各点のうち、点イと点ロに従った画面表示が行われないのは、周知例1記載の構成が車両の現在位置を画面の格子の交点上にしか表示できないからであって、点イと点ロがサンプリングされなかったためではないし、点ハ(あるいは点ハに最近接の検出点)がサンプリングされたというのならば、車両の現在位置が点ハ(あるいは点ハに最近接の検出点)に画面表示されるべきであるのに、画面表示は点Pになされるのであるから(これに対し、本願発明では、サンプリングされた位置データが点ハであるならば、画面表示も点ハになされる。)、被告の上記主張は失当である。
周知例2記載の発明も、車両の現在位置を画面の格子の交点上に表示するという基本的な技術的思想は、周知例1記載の発明と変わりはない。すなわち、周知例2には、単位走行距離の1/4を基本距離とし、車両が基本距離を走行するごとにパルス発生手段によって1パルスを発生させ、X方向のパルスとY方向のパルスを別個にカウントしていき、いずれかの方向のパルスが4パルスをカウントアツプしたとき、車両の現在位置の表示をカウントアツプした方向に1交点シフトする手段が記載されている(第2頁左下欄第5行ないし第4頁右上欄第2行、第4頁右上欄第13行ないし左下欄第17行、第7頁左上欄第19行ないし右下欄第17行)。ただし、周知例2記載の発明は、車両が斜め方向に走行した場合の補正手段として、走行方向が例えば北東のときは√2の補正係数を基本距離に乗じ、車両がこの距離を走行したときX方向、Y方向ともに1パルスを発生させ、走行方向が例えば東北東のときは√5/2の補正係数を基本距離に乗じ、車両がこの距離を走行したときX方向に2パルス、Y方向に1パルスを発生させ、これらのパルスをカウンターによって別個にカウントする手段を採用している(第4頁右上欄第3行ないし第12行、第7頁右下欄第18行ないし第8頁右下欄第4行)。しかしながら、このような周知例2記載のカウンターのカウント値は、やはり、移動体の現在位置を表す2次元座標上の位置データの概念に該当しないというべきであるから、周知例2記載の発明にも、位置データをサンプリングし、サンプリングされた位置データのみに従って画面表示するという技術的思想はあり得ないのである。
したがって、データをサンプリングして画面に表示することは当該技術分野においても本件出願前に周知であるという審決の認定は誤りであるから、これを論拠とする相違点<2>に関する審決の判断は誤りである。
(3)作用効果の顕著性の看過
審決は、本願発明が奏する作用効果は当業者であれば引用例記載の発明及び周知技術から予測できた程度のものである、と説示している。
しかしながら、本願発明は、移動体の2次元座標上の位置を逐次に細かく演算することによって、位置誤差を極力抑え位置データの精度を高める一方で、求められた位置データを、移動体の現在位置の画面表示に支障を来さない限度でサンプリングし、サンプリングされた位置データのみを記憶装置に記憶させることによって、記憶装置のメモリ容量を有効に軽減し得るという顕著な作用効果を奏するものであって、このような作用効果は、引用例ないし周知例のいずれにも記載されていない。
この点について、被告は、位置誤差を極力抑え位置データの精度を高めるという作用効果は周知例1あるいは周知例2記載の位置計算によっても奏されていると主張する。
しかしながら、本願発明は、単位走行距離ごとに移動体の走行方向を検出し、移動体の2次元座標上の位置を累積的な演算処理により逐次に求めていくものであるが、この単位走行距離を短く設定することによって、位置誤差を極力抑え位置データの精度を高めるものである。これに対し、周知例1あるいは周知例2記載の発明において行われている上記の位置計算は、2次元座標上の位置の累積的な演算処理ということはできない。のみなちず、周知例1あるいは周知例2には、単位走行距離(すなわち、表示画面の柄子間隔)を短く設定することによって位置誤差を極力抑えデータの精度を高めることは、何ら記載されていない。
また、被告は、およそ記憶装置のメモリ容量を有効に軽減するために、データ処理に当たり必要なデータをサンプリングして不要なデータを除き、サンプリングされたデータのみを記憶装置に記憶させることは当然の事項であると主張するが、合理的根拠は何ら示されていない。
第3 請求の原因の認否、及び、被告の主張
1 請求の原因1ないし3は、認める。
2 同4は、争う。審決の認定及び判断は正当であって、審決には原告が主張するような誤りはない。
(1)相違点の認定について
原告は、本願発明は移動体の走行に伴って逐次に求められる位置データのうちサンプリングされた位置データのみを記憶装置に記憶させ、この記憶データに従って移動体の現在位置を画面表示するように構成されているが、このような構成は引用例に全く記載されていない、と主張する。
しかしながら、審決は、本願発明と引用例記載の発明の一致点を「移動体の位青データ信号を出力」、記憶するとともに、この位置データ信号に基づいて移動体の現在位置及び走行経路を画面上に表示し得る点」と認定している。そして、引用例記載の発明が位置データに基づいて現在位置を画面に表示するということは、移動体の位置データを記憶装置に記憶するとともに、記憶した位置データに従って移動体の現在位置の画面表示を行うということに他ならず、この点において本願発明と共通しているから、審決が本願発明と引用例記載の発明の相違点を看過しているということはない。
(2)相違点<2>の判断について
原告は、周知例1あるいは周知例2にはデータをサンプリングし、サンプリングされたデータのみに従って画面表示を行うことは記載されていない、と主張する。
しかしながら、周知例1の第1頁右下欄第5行ないし第8行、第5頁右上欄第4行ないし右下欄第2行には、加減算器を用いて、表示画面の格子間隔に相当する単位走行距離より短い基本距離3mごとに、車両の位置データ(点a、点イ、点ロ、点ハあるいは点ハに最近接の検出点)を逐次に求めること、別紙図面Cの第4図において、点aという位置データに対応して画面の格子の交点に表される車両の現在位置として点aの表示がなされること、点ハ(あるいは点ハに最近接の検出点)という位置データに対応して、車両の現在位置として点Pの表示がなされること、点イあるいは点ロという位置データのときは車両の現在位置の画面表示がなされないことが記載されている。これは、基本距離を3mに設定して得られた位置データのうち、点aと点ハ(あるいは点ハに最近接の検出点)のみをサンプリングし、サンプリングされた位置データのみに従って移動体の現在位置を画面表示する、という技術的思想に他ならない。
この点について、原告は、別紙図面C第4図の「点a、点イ、点ロ、点ハ(あるいは点ハに最接近の検出点)」自体は移動体の現在位置を表す2次元座標上の位置データの概念に該当しない、と主張する。しかしながら、点イは「x1、y1」という位置データを持ち、点イからθ1方向に3m移動した点は「x1+x2、y1+y2」という位置データを持つ。したがって、そのような加算の繰返しによって得られる「点ロ、点ハ(あるいは点ハに最接近の検出点)」も、同様に2次元座標上の位置データを持つことは当然であるから、原告の上記主張は失当である。
なお、原告は、点ハ(あるいは点ハに最近接の検出点)がサンプリングされたというのならば、車両の現在位置は点ハ(あるいは点ハに最近接の検出点)に画面表示されるべきである、とも主張する。しかしながら、「サンプリングされた位置データのみに従って現在位置を画面表示する」という意味は、サンプリングされた位置データと厳密に符合するデータ位置に画面表示することに限定される理由はなく、サンプリングされた位置データを適宜に処理して現在位置の画面表示の目的を支障なく達成することも含まれるから、サンプリングされた位置データが点ハ(あるいは点ハに最近接の検出点)であるのに点Pを画面表示することも、「サンプリングされた位置データのみに従って現在位置を画面表示する」ことに含まれるというべきである。
また、周知例2には、車両が表示画面の格子間隔に相当する単位走行距離の1/4(基本距離)を走行するごとにパルス発生手段によって1パルス発生させ、X方向のパルスとY方向のパルスを別個にカウントしていき、いずれかの方向が4パルスをカウントアツプしたとき、画面の格子の交点に表される車両の現在位置をカウントアツプされた方向に1交点シフトすること、車両の進行方向が斜め(北東など)の場合の補正係数を√2とし、車両が北東に「基本距離×√2」走行するごとにX方向、Y方向ともに1パルス発生させること、進行方向が東北東などの場合の補正係数を√5/2とし、車両が東北東に「基本距離×√5/2」走行するごとにX方向の4進カウンタを1歩進するパルス、Y方向に2進カウンタを1歩進するパルスを発生させること、ただし2進カウンタがカウントアツプする状況でないときは4進カウンタを1歩進するパルスを発生させないようにすることが記載されている(第7頁右下欄第18行ないし第8頁右上欄第3行、別紙図面Dの第4図、第7図)。すなわち、周知例2記載の発明においては、車両の2次元座標上の位置データはカウンタのカウント値に表されているのであって、X方向のパルスとY方向のパルスを別個にカウントして行き、いずれかの方向に4パルス走行したことを示す値に達したときの位置データをサンプリングし、サンプリングされた位置データのみに従って移動体の現在位置を画面に表示する、という技術的思想に他ならない。
以上のとおりであるから、データをサンプリングして画面に表示することは当該技術分野においても本件出願前に周知であるとした審決の認定に誤りはなく、したがってこれを論拠とする相違点<2>に関する審決の判断に誤りはない。
(3)本願発明が奏する作用効果について
原告は、本願発明は移動体の2次元座標上の位置を逐次に細かく演算することによって位置誤差を極力抑え位置データの精度を高めるという顕著な作用効果を奏する、と主張する。
しかしながら、周知例1の第5頁右上欄第4行ないし末行によれば、周知例1記載の発明は基本距離を3mとし、加算の繰返しによる演算処理を行うものである。また、周知例2記載の発明は、上記のとおり、単位走行距離又はこれに補正係数を乗じた基本距離に応じたパルスを発生させ、これをカウントすることによって演算処理を行うものといえる。すなわち、周知例1及び周知例2記載の発明は、いずれも、移動体である車両が単位走行距離(あるいは、それより短い基本距離)を走行したこと、及び、そのときの進行方向を検出しながら、2次元座標上の位置を累積的な演算処理によって逐次に求めていくものに他ならないから、位置誤差を極力抑え位置データの精度を高めるという作用効果は、周知例1あるいは周知例2記載の発明によっても奏されているというべきである。
また、原告は、本願発明はサンプリングされた位置データのみを記憶装置に記憶さることによって記憶装置のメモリ容量を有効に軽減し得るという顕著な作用効果を奏する、と主張する。
しかしながら、記憶装置のメモリ容量が有限である以上、およそ記憶装置のメモリ容量を有効に軽減するためにデータ処理に当たり必要なデータをサンプリングして不要なデータを除き、サンプリングされたデータのみを記憶装置に記憶させることは当然の事項である。したがって、原告主張の上記作用効果は、データをサンプリングすることによって当然にもたらされる作用効果にすぎない。
第4 証拠関係
証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
第1 請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。
第2 そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。
1 成立に争いない甲第2号証(特許願書添付の明細書、図面)第3号証(昭和57年1月26日付け手続補正書)及び第4号証(昭和62年8月31日付け手続補正書)によれば、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果が、下記のように記載されていることが認められる(別紙図面A参照。なお、上記各手続補正書による字句の訂正については、引用箇所の摘示を省略する。)。
(1)技術的課題(目的)
本願発明は、自動車等の移動体における現在位置、走行軌跡あるいは進行方向などの走行状態を表示する、走行経路表示装置に関する(明細書第2頁第2行ないし第6行)。
走行経路表示装置においては、移動体の走行軌跡を折れ線に近似させて算出し表示することになるが、その1ベクトルが短ければ短いほど、移動体の現実の道程である曲線に近くなり、位置の精度を高めることができる。しかしながら、1ベクトル分が短い位置データをすべて走行軌跡記憶装置に記憶させると、メモリ容量が大きくなってしまうという問題点が生ずる。本願発明は、上記の問題点を解決するために創案されたものである(同第6頁第9行ないし第17行)。
(2)構成
本願発明は、上記技術的課題(目的)を解決するために、その要旨とする特許請求の範囲記載の構成を採用したものである(昭和62年8月31日付け手続補正書3枚目第2行ないし末行)。
本願発明の構成の特徴は、1ベクトル分が短い位置計算を行うことによって位置の精度を高めるとともに、表示装置の表示はそれほど細かくする必要がないので、一定距離ごとに算出される位置データをサンプリングした上でメモリに記憶させることによって、メモリ容量の軽減化を図りながら、精度の高い走行軌跡表示を行う点に存する(明細書第6頁第18行ないし第7頁第5行)。
別紙図面Aはその1実施例を示すものであって、第1図はブロツク図、第2図は表示装置の表示形態を示す図、第3図はベクトル表示による走行経路を示す図である。なお、図において、1は距離検出器、2は方向検出器、3は信号処理装置、4は走行軌跡記憶装置、5は表示装置、6は操作装置である(同第11頁第4行ないし第11行)。また、Aは出発点、M1は方向性を持つ現在位置Bの表示マーク、M2は走行軌跡表示マーク、M3は検索マークである(同第4頁第16行ないし第18行、第5頁第9行及び第10行)。
そして、例えば単位走行距離を1.57mに設定し、信号処理装置3がこの単位走行距離ごとに演算を行って刻々変化する移動体の現在位置を逐次求めるとともに、移動体の走行距離が10mを越えるごとに、その時点の位置データを走行軌跡記憶装置4に送って記憶させる。すなわち、別紙図面Aの表に示すように、移動体が出発点から10.99m走行した時点の位置データD7、20.41m走行した時点の位置データD12…のみを走行軌跡記憶装置4に記憶させ、表示装置5はサンプリングされた位置データD7、D12…のみに従って移動体の走行軌跡及び現在位置を表示する(同第7頁末行ないし第8頁第14行)。
(3)作用効果
本願発明によれば、移動体の位置データを微小な単位走行距離ごとに積算して求めながら、求められた位置データを、走行軌跡の解読に支障を来たさない程度にサンプリングして走行軌跡記憶装置に記憶させるため、走行軌跡記憶装置におけるメモリ容量を著しく軽減できるとともに、走行軌跡記憶装置の記憶内容に従って、移動体の走行軌跡及び現在位置の表示を高精度で行うことができる(明細書第9頁表下初行ないし第10頁初行)。
2 相違点の認定について
原告は、引用例には求められた位置データのうちサンプリングされた位置データのみを記憶装置に記憶させ、この記憶データに従って移動体の現在位置を画面表示することは記載されておらず、審決は本願発明と引用例記載の発明の相違点を看過している、と主張する。
しかしながら、成立に争いない甲第5号証(特許出願公開公報。別紙図面B参照)によれば、引用例には「コンピユータ6の位置データは(中略)後続のライン・データメモリ9(中略)に送られる。この場合、スイツチ10をオフすることによりライン・データメモリ9で読み込んでいるデータを順次読み出した移動体の航跡を作らせ」(第2頁左下欄第16行ないし右下欄第3行)、「コンピユータ6で得られた地図等に点として表示する位置データは(中略)直ちにライン・データメモリ9に読み込まれていく。このとき、メモリスイツチ10をオフさせると、いままで読み込んだデータを順次読み出した移動体の移動航跡を描かせる」(第4頁右上欄第8行ないし第16行)と記載されていることが認められる。
引用例の上記記載によれば、引用例記載の発明が、得られた移動体の位置データを記憶装置に記憶させ、この記憶データに従って移動体の現在位置を画面表示するように構成されていることは明らかである。
もっとも、前掲甲第5号証によれば、引用例には記憶装置に記憶される位置データがサンプリングされた位置データのみであることの記載は認められない。しかしながら、必要なデータのみをサンプリングし、不要なデータを除くことによって記憶装置のメモリ容量を有効に利用することは、当業者ならずとも当然に考える事項というべく、したがって、記憶装置に記憶する記憶データをサンプリングされた位置データのみとすることは、単なる設計事項にすぎず、この点において本願発明と引用例記載の発明の間に実質的な差異があると理解することはできない。
それゆえ、審決が、本願発明と引用例記載の発明は移動体の位置データ信号を出力し記憶するとともに、この位置データ信号に基づいて移動体の現在位置及び走行経路を画面に表示し得る点において一致すると認定し、相違点<1>、<2>のほかに原告主張の事項を両発明の相違点として摘出しなかった点に、何ら誤りはない。
3 相違点<2>の判断について
原告は、審決の相違点<2>の判断に関して、周知例1あるいは周知例2にはデータをサンプリングし、サンプリングされたデータのみに従って画面表示を行うことは記載されていない、とるる主張する。
しかしながら、周知例1あるいは周知例2記載の発明が、車両の現在位置を画面の格子の交点上にのみ表示することをその構成の特徴とすることは原告が自認するとおりであるが、この構成の特徴自体が、周知例1あるいは周知例2記載の発明はデータをサンプリングし、サンプリングされたデータのみに従って画面表示を行っていることを端的に示すものというべきである。
すなわち、成立に争いない甲第6号証(特許出願公開公報。別紙図面C参照)によれば、周知例1記載の発明は、「道路地図を載置し、該地図上に車輛(以下「車両」と表す。)の位置を表示する表示装置と、車両の単位走行を検出する距離検出手段と、該距離検出手段により検出された単位距離毎に方向検出出力を導出する車両の進行方向検出手段と、基本縮尺率に於ける各方向の単位距離に対するX、Y成分を記憶する第1の記憶手段と、使用する地図の縮尺率を入力する入力手段と、上記第1の記憶手段に記憶されたX、Y成分を、入力された縮尺率に対応するよう演算する演算手段と、上記演算手段による演算結果を記憶し、また上記進行方向検出手段出力の導入により検出された進行方向に対応する所定のデータを出力する第2の記憶手段と、上記第2の記憶手段出力の累計が上記表示装置の表示基本間隔に達した時、表示点を1単位シフトする駆動を行う表示駆動装置と、から成る車両位置表示装置」(第1頁左下欄第5行ないし右下欄第3行)を特許請求の範囲とするものであり、その実施例として、「表示装置26に於ける1ステツプは、車両の実走10mに相当する」(第4頁右下欄第10行及び第11行)が、「方向検出のための基本距離を3mに固定し(中略)検出精度を落さず(第5頁左上欄第12行ないし第15行)車両の走行距離及び方向の検出を行うことが記載されていると認められる。
上記の記載によれば、周知例1記載の発明の構成が、例えば別紙図面Cの第4図において、演算により基本距離3mに対応して逐次に得ちれた位置データである点イ、点ロ、点ハ、点ニ…のすべてを画面表示せず、このうち点ハ、点ニの位置データのみをサンプリングして、点a→点P→点Qという画面表示を行うように作用することは明らかである。
この点について、原告は、「点a、点イ、点ロ、点ハ(あるいは点ハに最近接の検出点)」自体は移動体の現在位置を表す2次元座標上の位置データの概念に該当しない、と主張する。しかしながら、周知例1記載の第1の記憶手段が上記のように「基本縮尺率に於ける各方向の単位距離に対するX、Y成分を記憶する」ものとされている以上、演算により基本距離に対応して逐次に得られる点が、長さ及び方向のデータを持つこと(例えば、別紙図面C第4図には、点イが「x1、y1」という位置データを持ち、点イからθ1方向に基本距離移動した点が「x1+x2、y1+y2」という位置データを持つことが図示されている。)は当然であるから、原告の上記主張は失当である。
なお、原告は、点ハ(あるいは点ハに最近接の検出点)がサンプリングされたというのならば、車両の現在位置は点ハ(あるいは点ハに最近接の検出点)に画面表示されるべきである、とも主張する。しかしながら、本願発明が要旨とする「記憶データに従って移動体の現在位置を画面に表示」するという要件は、記憶データに依拠して最も実用に適する画面表示を行うことを意味すると理解するのが合理的であるから、周知例1記載の発明の特許請求の範囲に記載されている「第2の記憶手段出力の累計が表示装置の表示基本間隔に達した時、表示点を1単位シフトする」という構成も、もとよりこれに含まれるというべきである。
また、成立に争いない甲第7号証(特許出願公開公報。別紙図面D参照)によれば、周知例2記載の発明は、「道路地図を載置し、該地図上に車輛(以下「車両」と表す。)位置を表示する表示装置と、車両の進行方向を検出する方向検出手段と、車両の走行距離を検出する距離検出手段と、上記検出された走行距離の一定毎に表示装置駆動のためステツプパルスを発生するステツプパルス発生手段と、該ステツプパルスの発生毎に上記方向検出手段出力を検出し、この検出信号に基づき走行中の現在位置を表示すべく上記表示装置を駆動する表示駆動手段と、上記方向検出手段による斜め方向の検出信号出力に基づいて上記ステツプパルス発生の周期を補正する補正回路と、から成る車両位置表示装置」(第1頁左下欄第5行ないし第19行)を特許請求の範囲とするものであり、その実施例として、「表示装置50上での表示基本単位(表示装置の柄子間隔1mmで、1万分の1の地図表示であれば10m)をさらに細分した距離の走行によりステツプパルスを出力する。(中略)単位距離10mをさらに4等分し、2.5m走行毎にパルス信号を出力する。」(第3頁左下欄第8行ないし第14行)と記載されていることが認められる。
すなわち、前掲甲第7号証によれば、周知例2には「方向センサーの出力に依りステツプパルス発生の周期をコントロールして、斜め方向の走行に際し正しい走行距離が表示されるよう改善した」(第2頁左下欄第5行ないし第8行)と記載されていると認められることから明らかなように、周知例2記載の発明は、斜め方向の走行におけるステツプパルス発生の周期を補正する補正回路を配設したことを特徴とするものであって、演算により基本距離に対応して逐次に得られた位置データのすべてを画面表示せず、特定の位置データのみをサンプリングして車両の現在位置を画面の格子の交点上にのみ表示する点においては、周知例1記載の発明と全く同様であると理解される。
以上のとおりであるから、周知例1及び周知例2を論拠として、データをサンプリングして画面に表示することはデータ処理一般において周知であるのみならず、走行経路表示装置に関する技術分野においても本件出願前に周知であるとした審決の認定判断に、誤りはない。
4 本願発明が奏する作用効果について
原告は、本願発明は移動体の2次元座標上の位置を逐次に細かく演算することによって位置誤差を極力抑え位置データの精度を高めるという顕著な作用効果を奏する、と主張する。
しかしながら、前記のように、本願発明の特許請求の範囲には「移動体の2次元座標上の位置を累積的な演算処理によって逐次求め」と記載されているのみであって、累積的な演算処理の内容は何ら特定されていない。そして、前記のように周知例1記載の発明の特許請求の範囲に記載されている「第1の記憶手段、演算手段、第2の記憶手段」によって行われる演算、あるいは周知例2記載の発明の特許請求の範囲に記載されている「表示駆動手段、補正回路」によって行われる演算が、本願発明が要旨とする移動体の2次元座標上の位置を逐次求める累積的な演算処理に該当しないと考えるべき理由は存しないから、位置誤差を極力抑え位置データの精度を高めるという作用効果を、本願発明に特有のものと理解することはできない。
また、原告は、本願発明はサンプリングされた位置データのみを記憶装置に記憶させることによって記憶装置のメモリ容量を有効に軽減し得るという顕著な作用効果を奏する、とも主張する。
しかしながら、データ処理を的確に行って必要なデータのみをサンプリングし、不要なデータを除くことによって記憶装置のメモリ容量を有効に利用することは、当業者ならずとも当然に考える事項である。そして、これを走行経路表示装置における位置データの記憶方式に適用することに何らかの困難が存したと認めることはできないことは前述のとおりであるから、記憶装置のメモリ容量を有効に軽減し得るという作用効果も、本願発明に特有のものと理解することはできない。
5 以上のとおりであるから、本願発明は引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとする審決の認定判断は正当であって、審決には原告が主張するような違法はない。
第3 よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 佐藤修市)
別紙図面A
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別紙図面B
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別紙図面C
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別紙図面D
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第7図
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